長くて楽しくて、そして終わってみれば短い2年間だった。この2年間で歩き方、装備、宿泊場所などに対する考え方など、さまざまなことが変化した。何日間か歩いてみては東京に戻って考えて、また行って考えて試してを繰り返したので、区切り打ちが正解だったと思うし、大雨の中を歩かずに済んだことも区切り打ちならではだったと思う。

 

「歩き遍路が一番偉い」などと言うつもりはないが、クルマや観光バスと歩きの違いは、やはり「札所間移動の意味あい」だろう。観光バスなら寝ていても歌っていても次の札所に到着するので、札所に着いての納経とご朱印と墨書が目的となるわけだが、歩き遍路は札所間の移動こそが重要で、お寺は通過ポイント的なものになる。

だから88カ所の寺への到着はたいへん嬉しかったし、それぞれの感慨があった。焼山寺の高い石段、雨の恩山寺、鶴林寺と大龍寺、16時50分に着いた薬王寺からの眺め、長く苦しかった最御崎寺や神峯寺、足摺岬への歩きを終えた翌々日、光が美しかった延光寺、早朝の観自在寺、感激的な岩屋寺、人の多い石手寺と善通寺、特別な空気を感じた前神寺、そして標高910mの雲辺寺、いきなり石段が540段の弥谷寺、いろいろな思い出ができた。不思議な気もするのだが、一番心に残るお寺はさほどドラマチックとは思えない第22番平等寺だった。これはたまたま行った時期やその日の天候も関係していると思うが、手水が美しく、のどかな雰囲気が最高だった。

 

「遍路は、それをやろうと思った瞬間に徳を積んでいる」 

ある人がこのように言っていた。私が1200km歩いてどれだけの徳を積んだのか、それはわかりようもないが、見知らぬ土地を38日間歩いてイヤな思いをしたことはなかったし、何度かお接待もいただき、通夜堂や善根宿にもお世話になった。私にとって四国を歩くことはとても心地良く、土地の人との挨拶の中にも遍路が受け入れられていることを感じた。友人知人に「四国遍路をやっている」と話すと、彼らは全員「いいなあ、出来ることならいつかは自分も行ってみたい」という反応を示した。これは「就職が決まりました」「おめでとう」とか「子供が生まれました」「おめでとう」というような会話に近い感触で、遍路=全肯定の行為だと感じた。区切り打ちなので、出会った遍路をやっている人達と再会することはなかったが、彼らもきっと何かに護られて無事に歩き終えた、あるいは今も歩き続けていることと思う。

 

「無理に急ぐ必要はない」それは十分わかっている。だが、どうしても一巡目は気持が先走るので別格寺院や奥の院には目が向かず、とにかく88番を目指す旅になる。結願がとりあえずのゴールだからこれはある程度仕方がない。たとえば疲れたので道ばたの石に腰掛けて休み、歩き始めたら5分後に快適そうな遍路小屋に出会うこともあったし、黄色い遍路地図とスマホのGPSを使っていても度々道を間違えたし、テントを張る場所を見つけるのにはその都度苦労や不安を感じた。寝袋やテントなど、10kg近くの荷物を背負って歩くのは平均時速4.5kmほどなので、ペース配分や日程の立て方が難しい。一日に移動出来る距離には限りがあり、ご朱印をもらうためには17時までに札所到着という制約も加わる。たとえば、15時半ぐらいの時間に素晴らしく良い野宿サイトに出会ったとしても、もしそこから1時間程度のところに次の札所があるのなら札所を目指すことになる。だから「もう一度やれれば先に進むことのみをせず、でももっとスムーズに、かつ精神的余裕をもって歩けるのになあ」と思う。

別格や奥の院にまで行かずとも、今回訪れた88の寺にも数々の仏像やその他見るべき物が多くあるのだが、本堂と大師堂での納経が済めば納経所へ行き、ご朱印と墨書をいただけば次の札所へと歩き始める。どうしてもそうならざるを得ない一巡目9回の歩く旅だった。

 

今回の区切り打ちを終えてみて、一つ感想がある。それは思ったよりも他人(歩いている遍路さん)との関わりが少なかったことだ。一人で野宿をすることが割と多かったし、誰かと同じペースで一緒に歩くことも少なかった。偶然かもしれないし、そんなものなのかも知れない。

 

来年2018年はレンタカーを借りてまわる予定で、それとは別に折りたたみ自転車(ブロンプトン)を持って行って野宿遍路をしてみたい。距離を稼げるという点では自転車が圧倒的に有利なのだが、同じ人力でも歩きと自転車はどこがどう違うのだろう。そして、願わくば2020年には歩きで逆打ちができたらと考えていて、単に「四国へ行っただけ、歩いただけ」にとどまらないものにしたいと考えている。   2017.11.18