パート7は東宿毛駅から松山まで

当初、パート7は2017年の3月末を予定していたが、どうも気が乗らず、3週間ほど延期して4/18の夜行バスで出発して4/25の朝東京に戻る日程にした。今回は装備の面でいくつかの変化があり、それはヤフオクで新品2300円で落札したテント(1070g)で、ノースフェイスの物より軽く密閉性が高い。それからマットを超軽量なものにして、さらに軽量化をはかった。これでザック込み8kgぐらいになった。

バスタ新宿から夜行バスで高知駅に着き、そこからJRで東宿毛駅まで行った。東京-高知のバス代が約9600円、高知駅-東宿毛駅が4650円だった。自分で作った食料を持って行っているので、初日は荷物が重たい。週間天気予報はずっと晴れ、我ながらすごい天気運だ。

 

東宿毛駅を出発したのは午前11時少し前で、松尾峠経由で第40番観自在寺を目指すが、久しぶりの山道はきつい。観自在寺には16時過ぎに着き、納経所でお願いして通夜堂に泊めてもらった。新築のきれいな通夜堂では、徒歩で日本一周をしている若者と二人だった。

観自在寺から次の龍光寺へは48kmほどあり、一日では着かないから、次の日は宇和島の和霊公園で野宿をすることにした。この先の野宿スポットというと龍光寺近くの「道の駅みま」だが、後で思えば、「道の駅みま」まで歩いておいた方が良かったかなとも思う。だが、この夜はけっこう雨が降ったので、和霊公園の東屋の下にテントを張ったおかげで雨から逃れられたから、その意味では正解だったと思う。雨は明け方に上がり、翌日からはほとんど晴れだった。服装はメッシュの半袖シャツ+ニーウォーマー(日焼け防止用)で、昼間はきわめて快適だった。去年の夏は白衣なしで白いメッシュの長袖だったが、半袖シャツ+ニーウォーマーの方が涼しいかも知れない。

 

ヤフオクで買った安いテントは、ノースフェースの物より広いのだが、長さが2mしかないので足を伸ばすとほんの少し長さが足らなくて対角線上で寝ることになる。だが、機密性が高いので快適だった。

 

松山まで100kmという表示が出るが、遍路は久万高原を経てのコースなのでこの段階ではもっともっと遠い。4/20は宇和島を出て龍光寺から仏木寺、そして名石寺と進む。仏木寺からは遍路道を通り、歯長トンネルを歩き、トンネルを出てから遍路道を下る最短コースをとった。

 

名石寺を打った後、どこまで歩こうかと考えたのだが、なかなか適切な野宿場所がなくて結局夜遅く十夜ケ橋の通夜堂に着き、ここに泊めてもらった。快く4人目の僕を入れてくれた先客の皆さんに感謝です。この日の歩行は何と7万歩を超えた。

4/20は十夜ケ橋の通夜堂を出発し、内子町を経由して久万高原へと向かう。コースの全体像が見えていないので、この日もどこに野宿をするかがなかなか決まらなかった。写真の無料宿の前を通ったのは午前11時前だったからここに泊まるわけにもいかず、遍路地図55ー1の真ん中あたり「落合トンネル」を出た場所からiPhoneで検索をかけて、「父二峰郵便局」横の東屋まで行くことにした。黄色い遍路地図の54・55・56ページは、道がどうつながっているのかがものすごくわかりにくい。

 

ちょっと遠まわりをしたけど、この「父二峰郵便局」横東屋には水道とシャワートイレがあって、ここにはまたいつか泊まりたいって感じだった。先にテントを張っていた人に手伝ってもらって、テーブルと椅子を東屋の外に出してテントを張って寝たが、久万高原は標高が高く何と明け方の気温は6度だった。これはパート6の時(つまり初冬の足摺岬)と同じぐらいで、雨着を着込んで寝たがとても寒かった。

 

4/21は大宝寺から岩屋寺だ。この日は日曜日だったので岩屋寺に行く途中でお接待があり、果物やおはぎをご馳走になった。ありがたい。

 

岩屋寺へは荷物を全部担いで登ったのでけっこう辛かったから、着いた時はホッとした。納経を済ませて打戻りつつ、どこで寝ようかを考えた。予定では三坂峠手前、桃李庵近くの休憩所まで行くつもりだったが、少し疲れを感じたので久万公園で寝ることにした。久万公園に着いたのは16時半ぐらいだったし、空身で食料を買いに行って早めに寝ることにしようと考えた。

 

かなり冷えそうだったから、目いっぱい着込んで夜8時過ぎにはシュラフに入って眠る体制だったが、久万公園のテニスコートは夜の10時までテニスの練習をしている人がいて、それはいいんだけど、テニスをやっている親が連れて来た子供たちがずっと大声を出して遊んでいたので、早く寝るもくろみは打ち砕かれてしまった。道の駅は夜中にクルマがやって来たりするし、公園は公園でいろいろあります。

 

久万公園では写真の建物の屋根の下でテントを張って寝たのだが、翌朝ちょっと離れた東屋にテントを張っていて(その前の日から)ドアの横のコンセントを使って電気ポットでお湯を沸かしに来たおじさんに「こんなところにテントを張ると水道を使うのに邪魔だ。少しは考えろ」と文句を言われた。そう言われてもね、通れないわけじゃなし、僕が何も言わず電気ポットを眺めていたら、それ以上は何も言わずに去った。色んな人に出会います。

最終日4月24日月曜日は、久万公園から三坂峠を経て第46番浄瑠璃寺・第47番八坂時・第48番西林寺・第49番浄土寺・第50番繁多寺ぐらいまでは歩けるとして、第51番石手寺はきわどいところだなって感じだった。

 

久万公園からはダラダラとした上りで三坂峠の標高は710m、ここから遍路道を下ることになる。坂本屋は休みだったが最高の天気の中をマイペースで歩いて昼過ぎに浄瑠璃寺に着いた、ここからは比較的近い距離で札所が続く。

 

繁多寺を出たのは16時20分ぐらいだったか、石手寺までは約2.5km、ここは最高速で歩き、何とか17時10分前ぐらいに石手寺に着いて納経を済ませた。パート7はこれで最後なので少しゆっくりして、道後温泉本館まで歩き風呂に入った。そして路面電車で夜行バスの乗り場に向かったのだが、そこでパート7というかこれまでで最大のハプニングにみまわれた。

帰りはコトバスの東京行きを予約していたので、出発時間の10分前には地図の場所にいた。意味不明な青い矢印みたいな表示だったので、ホテルニューカジワラ前の歩道で待っていた。バスは道路を走って来るのだと思っていたが、バスは駐車場ホテルの隣りにある駐車場にいた。バスが出てきた時に気がついて走って追いかけたが、バスは行ってしまった。

 

「ホテルニューカジワラ横」ではなく、「ホテルニューカジワラ横駐車場」と書いてくれれば駐車場に行ったし、このよくわからない青い矢印ではなく駐車場を四角く表示して色でもつけておいてくれれば間違える人はいないだろう。道路をバスがやってきて歩道から乗ると思い込んでいた僕が悪いのだが、コトバスの案内も決してわかりやすいものではないと思う。予約時には携帯電話の番号などを書くわけだが、何のための緊急連絡先記入なのかもわからない。よく見ると目立たないバス停の表示があるにはあったのだが、やっぱり50mぐらい手前からでも間違えようのない看板や案内が必要でしょう。

 

置いていかれた時は「どうしよう」って感じで目の前が真っ暗になり途方に暮れた。仕方なくiPhoneで別の東京方面行きの夜行バスを探すと2時間後に別の場所から京都行きがあったので、これを予約してとにかく京都まで行き、京都から新幹線で東京に戻るという信じられない最後だった。京都行きの夜行バスは歩道で待っていて乗った。

 

東京に戻ってから、『金返せとかいうクレームをつけているわけじゃないけど、あの地図と場所の説明文はわかりにくい』ということを連絡したが、どこまで通じたかはわからない。多分、今後コトバスに乗るのはどうしてもコトバスしか選択できない場合のみになると思う。

 

とんだことになったパート7だったが、とにかくこれで約800kmを歩き終えたので残りは約400kmになり、2017年中の結願を果たせそうな気がしてきた。さて、次はいつ出かけようか。