パート2は荷物が重たかったと反省し、テントをノースフェースのストームブレーカーに買い替えて600gの軽量化をはかり、パート3は第2の『遍路ころがし』と呼ばれる鶴林寺と太龍寺なので、軽量でしかも短くなるストックを持って行くことにした。そして、古いトレッキングシューズをMerrellのゴアテックスに買い替えた。

さらに、コンプレッションスタッフバッグを買って、テントとシュラフを圧縮してパッキングしたので、重量は同じだがパッキングに余裕ができた。そして、パート3からはカメラを持たず、すべてiPhoneで写真と動画を撮ることにした。

2016年6月2日(木)の朝小松島停留所に着き、歩き始めた。天気は快晴、湿度が低く暑くて汗をかくが涼しい風が吹くそんな最高の歩き日和だった。

 

予定では、この日のうちに「道の駅わじき」まで下って野宿をするつもりだったが、太龍寺の納経所で「ロープウェーに乗ってみませんか」とすすめられたので、乗ってみることにして、「道の宿そわか」で素泊まりをお願いした。良い景色を眺められたし風呂にも入れたし、これはこれで正解だったと思う。

ロープウェーで下ってしまったので、翌日6月3日(金)は朝一番のロープウェーで登り返して歩き始めた。天気は快晴、22番平等寺はのどかな感じでとても印象が良かった。

「この先はとにかく国道歩きで店はない」と教えてもらったので、平等寺近くのスーパーで昼を食べたら店の人が「飲みなさい」と言ってペットボトルのお茶をあけてくれた。感謝。そしてリンゴを買ってザックに入れ、ひたすら国道を歩いた。

 

距離の短い山側のコースを選択したが、この国道歩きは単調だったなあ。そして、ロープウェーの関係で朝の出発が少し遅かったので、リンゴの写真を撮ったのが14時31分、食べて出発したのが14時40分過ぎ、薬王寺までの距離は10.7kmだった。10kgの荷物を背負って10.7kmを2時間で歩くのは最高速だ。

この国道には自動販売機がほとんどなくて、16時ぐらいの段階で自動販売機が見えた時は砂漠でオアシスに出会ったような気分だった。まるで高校生みたいにアクエリアスの550mlを一気飲みして歩き、薬王寺に到着したのは16時50分だった。

 

日和佐の道の駅で寝ることもできたが、翌日甲浦駅まで行くことを考えると、あと少しは歩いておきたい。そう考えてゆっくり室戸方面に歩いていると、自動車が止まって、中からおばさまが降りてきて「パンを持って行きなさい」と言って半分くれると言うので、ありがたく頂戴した。

 

そして、その先の遍路休息所でテントを張らせてもらって寝ることにした。よーし、今夜は楽しいテント泊だぞ。

6月4日(土)は、甲浦駅まで歩き、牟岐駅までJRで戻り、牟岐港から連絡線に乗って友人が移住した出羽島(てばじま)に行く。こんな予定だ。

 

テントを張った場所から甲浦駅までは約35km。16時4分発のJRに乗らなければ連絡船の最終出発時間17時20分には間に合わない。ということから逆算して朝7時過ぎに出発した。9時間で35kmを歩くのはまあ大丈夫だろう。

 

そう考えたのだがこの日は雨、Merrellの靴は今ひとつ相性が悪いようで、足の裏にはマメができているらしく、かなり痛い。もし間に合わなければ「途中の駅でJRに乗ればいいや」と考えつつ、一方で「何とか徳島県と高知県の県境は越えたい」と思いつつ歩き、何と甲浦駅に着いたのは、16時5分前ぐらいだった。またもやギリギリセーフで遍路パート3は終わった。他にお客がいないのを良いことに電車の中で着替えた。

かつては1000人以上の人が住んでいたが、現在は人口70人という出羽島に行って泊めてもらった。おでん評論家でもある新井由巳さん宅で食べさせてもらったカレーと野菜がおいしかったなあ。

 

出羽島についてはこちらをごらん下さい。

http://tebajima.jp

 

そして6月5日(日)の夕方はアスティとくしまに行き、Perfumeのライブに参加したが、両足ともマメがひどく、歩くのもやっとだったからジャンプは出来なかった。

 

そんな感じで区切り打ちパート3が終わった。次回は室戸岬から高知市を目指すことになる。パート2と違って、今回は東京から持って行った食べ物や飲み物を全部お腹の中に入れたし、無駄な物は持って行かなかったのが進歩だった。ただし、マメのできる靴は考え直す必要がある。さて、次回はいつ行こうか。