今回は5泊6日で土佐市役所前から東宿毛駅まで歩いた

2016年11月30日(水)

バスタからの夜行バスで7時半頃はりまや橋に着き、バスを乗り継いで前回歩き終えた土佐市役所前まで行った。そこから第36番青龍寺に向かって歩き始めたのは午前9時過ぎ、天気は快晴だった。歩き始めの30分ほどはダウンジャケットを着ていたが、それ以後は長袖のヒートテック一枚でOKだった。「真言宗より日蓮宗がおすすめ」という地元のおじさまの話をきいたりしつつ、宇佐大橋を渡って青龍寺に着いたのは11時ぐらい、この春に亡くなった「Seikoママ」のことを思って納経を済ませて打ち戻って浦の内から須崎へ向かった。須崎の遍路小屋に着いたのは16時過ぎ、この遍路小屋には電気もあって快適そうだったが、もう少し先に進んでおきたいので「道の駅かわうその里すさき」へ向かう。歩いていると「おじちゃーん」みたいな声がきこえてきたので、振り返ると小さな女の子が追いかけてきてバームクーヘンを差し出したので、「くれるの!ありがとう」と言ってもらった。

K's電気の隣りにある超大型スーパーでパンと焼きそばを買い、「道の駅かわうその里すさき」に着いたのは18時過ぎ、四国は東京より10分ぐらい遅いのだがこの時期の日没は17時で18時はもう真っ暗だ。トイレ横の軒下にテントを張り、焼きそばを食べて21時ぐらいに寝た。昼間の気温は12度ぐらいで夜は6度ぐらいだから、それほど寒くはないと思うが、地べたにマットを敷いて寝るのがどの程度の寒さなのかちょっと不安だった。

 

結論から書くと、スリーシーズンのシュラフにダウンジャケットを着て寝たのでは寒く、ヒートテックのインナーシュラフが有効だった。そして上半身用にもう一枚薄いマットがあれば完璧だった。タイツは履かなかったしヒートテックの半袖インナー(2枚)も着なかったし、首に巻くネックウオーマーも使わなかったので、次回、昼間の気温が12度前後で最低気温が5度ぐらいの時期なら、これらは持って行かなくてもOKなので同じ季節なら次は約500g軽くなる。これを確かめられたのは大きな成果だった。

夜中は小雨だったが、12月1日は朝5時に起きて6時半ころ出発した。土佐久礼を通って大阪遍路道を通って高知自動車道の高い橋を見上げながら七子峠へ向かう。

 

今回のコースは山登りがほとんどないので、唯一この七子峠だけがきつい上りだった。一時間ほど山道を歩き、駐車場に出ると素晴らしい景色で先ほどの橋が遠くに見える。ひたすら一定のペースで歩き、銀杏がきれいな第37番岩本寺に着いたのは15時ぐらいだった。四国を歩いていてもあまり人に会わないのだが、岩本寺に着くちょっと前の道には人がいっぱい出ていてみんながこっちを見ている。何だか恥ずかしいのできいてみたら、「中学生のマラソン大会の選手がやってくるのを待っている」そうで、なるほどと納得した。岩本寺では、亡くなった知人の息子さんのために納経をした。

 

宿泊予定地は「土佐佐賀温泉こぶしのさと」で、遍路地図38-2の左ページ西尾自動車のところから国道に出たのが17時で、そこから暗い中を「こぶしのさと」まで歩いた。こぶしのさと四阿には二人の先客がいたので、駐車場にテントを張り、600円で温泉に入りレストランで食事をして寝た。

朝起きるとなかなかすごい夜露で、テントの外張りは裏表両方ともベチャベチャだった。12/2もやはり5時に起きて食事をしてテントを撤収して出たのは6時半過ぎだった。

 

土佐佐賀の駅前を通り、井の岬トンネルを抜けた頃から、左足のカカトが少し痛く、右足の足首の上の前側が痛かったが、我慢してだましだまし歩いた。昼は道の駅ビオスおおがたで「しらす丼」を食べた。

 

海岸沿いの松林を抜け、下田の渡し船は廃止なので四万十大橋に向けて歩き、手前のローソンで食料を買い16時過ぎに四万十大橋を渡った。これはなかなかの感動だったが、宿泊予定地「ドライブイン水車」まではまだけっこう距離がある。

 

1.6kmの新伊豆田トンネルは長かった。トンネル内は空気が悪くずっと口と鼻にタオルを当てて呼吸をしてやっとのことで抜けた。またまた暗くなってしまい、この日の歩行は過去最高の61904歩となった。12月は気温がちょうど良くて歩きやすいが、日が短いのが辛い。気温が同じなら2月下旬から3月上旬の方が日が長くて良さそうだ。さあ、明日はいよいよ足摺岬だぞ。

12月3日も5時に起きて6時半過ぎに歩き始めた。もう少し早く出発したいのだが、食事とテントの撤収、そしてパッキングは慣れている僕でもけっこう時間がかかる。

 

下ノ加江のローソンで弁当や固形スープ、大福などを買い込んで足摺岬の金剛福寺へと向かう。この日もいい天気で約12kgの荷物を背負って歩くと昼間は汗をかく。海岸沿いの道を時速5km弱ぐらいのペースでひたすら歩き、津呂の善根宿金平庵に着いたのは14時ちょっと前だった。今回は荷物が重たいので、休みも入れて10kmを2時間半ぐらいで歩いている。金平庵に荷物を置かせてもらって、納経用品とダウンジャケットを持って足摺岬の金剛福寺を往復する。

 

足摺岬のジョン万次郎像の前に着いたのが15時ぐらい、金剛福寺では20年ほど前よく一緒に仕事をした香川県出身の女性が今年未亡人になってしまったそうなので、そのご主人のことや自分のこと、このサイトを読んでくれる皆さんのことなどを思いつつ般若心経を読み、同じ道を戻った。荷物がないのでゆっくり楽しんで歩いて津呂に戻る。「今夜はテントを張らないで寝ることが出来る」と思うと何だかとてもゆったりした気分になった。この善根宿は本当に助かる。

 

三日間晴れていたが翌日の予報は一日雨、覚悟を決めて行くしかない。

 

東京から持って行ったキャベツなどの野菜を切った物を炒めて、そこに水を加えて固形スープを入れて飲む。これはなかなか美味しいし、野菜も摂取できて我ながら良いアイディアだったが、タニタ食堂の減塩スープは全然味がしないので持参した塩を足したのでまるで意味なし。

 

ここまできたので、夜中にスマホで帰りの夜行バスを予約する。鳴門乗換のコトバス3列シートが高知-東京で8040円だったので、これにする。宿毛-高知のJRは5000円ぐらいなので、帰りの交通費は13000円ぐらいだ。しかし、スマホとインターネットはすごい。

目をつぶり、横たわって身体を休めてはいるが、テントの中ではよく眠れない。だが、津呂の善根宿では久しぶりによく眠ることができたので助かった。お札を置き浄財箱にささやかなお礼を入れ、12月4日は朝7時過ぎに津呂を出た。

 

朝のうちは曇りだったが、予報通り9時ぐらいには雨になったので雨着を着て、足にはスパッツも着けて昨日来た道を打ち戻った。ところが、以布利で遍路道に行くべき道を間違えて、気がつくと清水にいた。「なんで左側に海が見えるのだろう」と思ったがあとの祭り、引き返すとさらに時間がかかるので、足摺病院の先から右折して以布利港に向かった。道を間違えた時は、スマホのGPSで自分のいる位置を確認できるのが便利だ。まあでも清水にはいろいろな店があって、ローソンで弁当を買ったり、おみやげ屋さんでインスタントラーメンを買ったり、店内にあった試食品を食べたり、「道を間違えるのも悪くない」と思うことにした。

 

久百々のあたりで、5人か6人のやや高齢な女性遍路グループに出会い3分ほど立ち話をした。東京から来ているお姉様方だそうだ。お互い雨の中をご苦労さまです。

 

この日は9時過ぎぐらいからずっと雨で、ザックにザックカバーをかけ、雨着の上だけを着用して歩いた。気温は11度から12度で、蒸れないようにあまりペースを上げずに歩くことにする。こんな気温だと発汗防水の雨具は最高に機能を発揮し、雨は防ぎつつ汗で中からは濡れず快適だった。また、靴はサロモンのゴアテックスだったので靴下はほとんど濡れなかった、

 

昼ご飯の弁当を食べたかったが、雨宿りしつつ座れる休息所がまったくなくて困った。店もないし公園もない。それで、仕方なくすごく唐突に存在するリサイクルショップのご主人にお願いして、雨宿りをさせてもらって椅子を借りてローソンのハンバーグ弁当を食べた。

 

延光寺へのルートはたくさんあるが、下ノ加江のローソンに行く橋の手前から左折して三原村へ向かい第39番の延光寺を目指す。右足はかなり痛かったが、どうしようもない。とにかく歩ききるしかないのだ。雨はずっと降っていたが、三原村への道は自動車が少なく快適だった。

 

食べ物や飲み物が沢山置いてあることで知られる芳井遍路小屋で、みかんをいただいた。今回あちこちで売られているみかんを見て、「食べたいなあ」と思うのだが、一袋買うと10個ぐら入っているから重たくて買えないのだ。こちらの遍路小屋のご主人とそんな話をした後「近所にテントを張れる場所はありませんか?」ときき、5kmか6km先にある素晴らしい四阿を紹介していただいた。感謝。

 

さて、最終日の12月5日、四阿の下にテントを張ったので夜露に濡れず快適だったが、コンクリートなのでペグが打てない。そこで、入口の庇部分はザックにつけてあるスリングとカラビナを利用してテーブルに引っかけて、我ながらうまくいったと自分にドヤ顔をする。

 

昨日清水で買ったインスタントラーメンを食べ、最後のコーヒーを飲み、延光寺に向けて出発。三原村は何となく雰囲気の良いところだと感じた。長い歩きの旅も今回はこれで最後なので、ちょっとゆったりと歩いて平田駅の横から国道56号を左折して延光寺に向かう。延光寺は落ち着いた雰囲気の素敵なお寺だった。足は痛かったがここまで何とか予定通り歩ききることができたことに感謝して、おだやかな気持で納経をし、東京から持って行ったヤクルト5本の最後1本を飲んで延光寺を後にした。

 

この日は天気が良く気温は何と17度、四国は12月でも日焼け止めが必要だ。

 

宿毛駅まで行こうかと思ったが、次回のコースを考えると東宿毛駅でもOKなので、14時34分発の中村行きの電車に乗り、中村から岡山行きの『アンパンマン特急』で高知に向かった。

 

高知駅のコインロッカーに荷物を預け、歩いて25分ほどの「高知ぽかぽか温泉」に行って戻って、20時10分発の夜行バスに乗り新宿に戻った。

今回のコースは上図の通り全行程約220kmほど、それを6日間で歩いたのでかなりハードだった。憧れの足摺岬にも到達し、何とか歩ききることができたが、途中で足を痛め東京に帰ると右足の脛から下が腫れ、一週間は足の甲の骨が見えないほどだった。骨折でも捻挫でもないのだが足首の少し上の前側に炎症があり、毎日「オルバスオイル」を塗って灸をすえ、腫れが引くのに一週間かかり、一番痛い部分が治るには三週間ほどかかりそうだ。

 

右足の痛みを除けば体調はすこぶる良かったので、次回からはさらにあと1kgほど装備を軽量化して「予定通り歩きつつ痛いところをつくらずに戻る」をテーマにしよう。区切り打ちの場合次回のコースがまたちょっと厄介で、約200km歩いて松山まで行くのが一番良さそうなのだ。