パート9は中萩駅から結願を目指す

これまでの経験をもとに、必要な物は全て持ち、そして最も軽量になるよう心がけたのが写真の装備だ。モバイルバッテリーは白いもの1個でiPhone6sを5回充電できるのだが、念のためにもう一つ小さい物を入れた。40年以上前に買った1kgのダウンシュラフとヒートテックのシュラフインナーを持ち、一応ユニクロのULダウンパーカーも持ったから、寒さ対策はOKだろう。去年、パート6で12月初めに足摺岬を歩いた時とほぼ同じ装備だ。パート6でも不要だったからタイツや手袋、ヒートテックの半袖Tシャツなどは持たない。

 

そしてスマートウール製のサポーターみたいにきつい靴下を2足持って行くことにした。今回はこれを履いてなるべく蹴らずに歩くこう。ナンバ歩きの割合を増やすということです。

区切り打ちの一巡目結願を目指すパート9は、2017年10月30日の夜行バスで出発することにした。パート1は2015年の11月だったから、あれから2年、すでに四国を8回歩いてきたので、これまでの失敗や経験を活かして準備をすすめた。

でもそれよりは出発時に持っている食べ物の方が面白いかもね。時間があったので撮影してみました。数日で食べてしまうわけだから、これは区切り打ちならではのことです。チーズバターハム玉子自家製パンケーキミックス160g自分で焼いたベーグル4個、ヤクルト400ピーマン人参玉ねぎ油塩醤油自家製カレーパウダーコーヒー100gミックスナッツ加計呂麻島のバナナ寒天野菜スープにクラッカー。全部で約2kgちょいありますが多分3日ぐらいでほとんど消費します。なかなか笑えるでしょ?

パート9がうまくいくかどうかは初日と二日目次第

 

中萩駅から三角寺までは推定35kmほどある。そして、野宿なので二日目は雲辺寺を打った後、山を下ってテントを張って寝る場所をさがす必要がある。三角寺から雲辺寺の途中で食糧を調達できるかどうかがわからないので上の写真のような食糧を持って行った。雲辺寺は今通夜堂を建築中なので、通夜堂が完成すればもう少し融通のきく計画が可能になる。

 

10/31の朝丸亀駅に着き、そこからJRで中萩駅まで行き、歩き始めたのが12時ぐらい、どこまで行けるかがとても重要だ。いろいろ考えた結果、「しんきん庵秋桜」で寝ることにした。水もトイレもないが、徒歩2分ぐらいのところにコンビニがあるので、何とかなるだろう。中萩駅からしんきん庵秋桜までは約28kmほどだったが、歩き始めたのが12時だったから、着いた時は暗くなっていた。

 

11/1は朝6時過ぎに歩き始め、三角寺から雲辺寺を目指した。三角寺の納経所のお姉様によると「民宿岡田までは約4時間、雲辺寺までは7時間かかる」とのことだった。それをきいたのは朝の9時10分頃だったので「じゃあ雲辺寺は16時過ぎか」と思いつつ出発した。

 

天気はとても良くて、景色も最高、半袖+アームウオーマーに袖なしの白衣でちょっと汗をかくぐらいで快適な歩行だった。そして今回は、2時間半ぐらい歩いたら必ず靴を脱いで足首を回して血液の循環を促すことにした。「炎症が起きていない身体で東京に戻る」がパート9のテーマなのだ。

 

三角寺から、「無料宿泊OK」の看板や「鳩小屋」などを横目で見つつ歩き、「しんきん庵法皇」で休憩すると柿のお接待があったので2個いただく。おいしかった。民宿岡田前を通過したのは12時45分ぐらいだったから、三角寺の納経所で教えてもらった時間よりは少し早めに着いている。でも、荷物が10kg近くあるのでこれ以上スピードを上げることはできない。

 

噂通り雲辺寺への登り標高差600mは急だったが、山道を終えて舗装路に出るとだいぶ傾斜が緩くなり、雲辺寺には15時30分頃着いた。やれやれであるが、さすがに標高910mは寒い、雲辺寺にはもう少し滞在したかったが、納経を済ませて速やかに下る。やや遠回りだが、ロープウエイの駅に向かって下り、萩原寺近くの井関池横の公園でテントを張る予定だが、暗くなってしまってとても不安だった。ロープウエイ駅の駐車場に着いてもどこが萩原寺への道路かさえわからない状態だったし、道路に街路灯はなく真っ暗な道を歩いている時は「大丈夫かなあ」と思いつつ歩いた。すると、いきなり東屋があったので「ここだ」と判断してテントを張って寝た。二日目にここまでたどり着けば、思い描いた予定通りだ。11/1の57000歩は雲辺寺の登りと下りを含めた57000歩なので、この日は目一杯だった。

 

 

玉子を2個持ってきているので、二度の朝はパンケーキを作って食べる。井関池横の東屋はこんなところで、少々遠回りだけど静かでなかなか良い公園だった。別格萩原寺から大興寺までの道にはみかんがなっていて、ちょうど食べ頃だったから思わず1個もいで食べたくなる。もちろん泥棒はしませんけどね。

 

大興寺から観音寺・神恵院へと歩き、納経を終えてから少し戻り、和食の定食を食べる。第70番の本山寺を出たのは15時15分ぐらいかな。道の駅「ふれあいパークみの」を目指す。途中おはぎの接待を頂戴し、約3時間かかって「ふれあいパークみの」に着く。温泉の受付で「テントを張りたいのですが、どこならOKですか?」ときいたら、「ソロライダーの乗り場のところならいいですよ」ということで、ここに落ち着いた。温泉は1500円だったけど、風呂に入れるのは有り難い。21時過ぎには横になっていたが、地元の若者が10人ぐらい集まってきて騒いでいるので眠れない。仕方がないのでトイレに行く時に「もう23時半だし、ここで寝てるから、そろそろ終わりにしてもらえないか」と伝えると、20分か30分後には去ってくれた。

 

朝一で弥谷寺へ向かうと何といきなり540段の階段が待っていた。しょうがない、ゆっくり登るしかない。でも弥谷寺はすごく良いお寺です。この日は比較的狭いエリアに札所が密集しているから、夕方までに郷照寺を目指す。

 弥谷寺から曼荼羅寺への道は良い光線が入っていたのでiPhoneで写真を撮る。11/3は文化の日なので、どのお寺も人が多い。出釈迦寺門前の「すずめ庵」でコーヒーを飲み、ミカンを2個いただいた。

 善通寺はすごい人出で、まるで浅草寺みたいだった。ここまではだいたい静かな寺で納経をしてきているので、あんなに沢山の人がいるところで納経するのはすごくヘンな気がして調子が狂った。一般の参拝客に「歩いて遍路をしているんですか?」ときかれたりして、なんか恥ずかしい

せっかく香川県にきたのだから、うどんぐらい食べようと考えて、金倉寺近くの有名うどん店「香の香」で40分並んで「釜あげうどん」を食べることにした。ダシに特徴があっておいしいけど、「まるで具がないのはちょっとなあ」って気もした。まあでも、とにかく食べてみなくちゃ始まらない。

 そこから道隆寺へと歩き、「香の香」で40分も並んでしまったので郷照寺に着いたのは16時45分ぐらいだった。そして、今夜は有名な善根宿「うたんぐら」に泊めていただく。夕食はうたんぐらで自転車を貸してもらって「まんぷく亭」に行ってニラレバ定食を食べて昼食の借りを返した。

 

 

「うたんぐら」の朝食はこんな感じでおにぎり付きで1000円、本当に感謝してもしきれないと思いつつ、きれいに全部いただいた。11/4は天皇寺から国分寺、そして白峰寺から根香寺に行って五色台の遍路小屋に泊まるつもりだ。それほど距離はないから無理をして速く歩く必要はない。高級住宅街なのだろうか? 宇多津というのはちょっと違う雰囲気の街だった。

毎日、何時間か歩いたら靴を脱いで足首をまわして血行を良くすることを繰り返しつつ歩く。そして、第79番国分寺の手前には接待所があり、お茶とお菓子をご馳走になった。白峯寺へは400mほど登り汗をかく。根香寺へは山の中を歩き、降りて登る。五色台の遍路小屋に荷物を置いて根香寺での納経を済ませて戻った。今夜はこれまたとても有名で最強と呼ばれている遍路小屋に泊まるので二日連続でテントを張らずに眠ることができて助かった。

でも、この夜はものすごく寒かったので、あまりよく眠れなかった。標高が高いことと、実際気温も低かったし冷たい風が吹いていた。

 

 

五色台の遍路小屋で一緒に泊まった神奈川からきているお兄さんも「いやはや、とにかく寒かった」と言っていた。これまで泊まった場所や装備軽量化の話などをして、彼は根香寺に行き僕は一宮寺へと向かった。

ここまでくると結願が見えてくる。第88番大窪寺から志度駅までのコミュニティバスの最終は16時ぐらいだから、あまり遅いと一日早く着いても意味はないことがわかってきた。そう考えて逆算すると、11/5は八栗寺まで行かず屋島寺付近で寝た方が無理のない計画になる。

一宮寺から屋島寺へは栗林公園の近所を歩く、銀行やホテルがたくさんある都会的エリアを抜けて数時間、平たい屋島が見えてきた。

屋島寺への登りは1時間弱ぐらい、納経を済ませた後展望台に行き、抹茶とくず餅を食べてお店の人に「閉店後、この展望台にテントを張って寝てもいいですか?」ときき「OK」をもらったので暗くなるのを待った。

美しい夜景を撮影し、そろそろ寝ようかなと思ってトイレに行きテントに戻る途中、妙な生き物が歩いている。「アライグマ?」いや「タヌキ」かと思ってシュラフに入って寝ると、展望台にアベックや地元の若者がやってきてタヌキに遭遇して大騒ぎをする。最後は家族連れが来て子供が「タヌキだー!!」と叫ぶ。エサをやろうとして指をかまれたりの、一緒に記念写真を撮ったりので大騒ぎ、挙げ句の果ては僕のテントを見て「これはタヌキのお城だ」とか言ってテントを揺らすので、仕方なく「寝てるんだからもう終わりにしてね」と言ってお引き取りを願った。屋島寺の周囲にはテントを張ることができる東屋がたくさんあるので、そちらで寝た方がよかったかもしれない。

翌日は屋島寺から急な山道を下って、一旦平地に下りてから八栗寺に向かう。四国の山道はほとんど自然遊歩道という感じでそれほど急ではないのだが、この区間はちょっと急で八ヶ岳や奥秩父などの登山道並みの下りだった。途中、イノシシの侵入を防ぐための柵は手で開けて通り閉めるのだがこれがわからず難儀した。八栗寺へは地元の老人と一緒に話をしながら登った。「八栗には毎日行っていて、時々は屋島へも行く」、この日は奥様が女子会だそうで「今日は一人なんだ」と言っていた。

志度は平賀源内が生まれて没した街なのだった。そして第87番長尾寺へと向かうと、途中ついに「大窪寺」の表示が出てきて、「いよいよ明日は結願だ」と実感した。この標識のところに接待所があり、ジュースと飴をいただいた。とても有り難い。

夕方、「亀鶴公園で寝ようか、それとももう少し歩いておこうか」と5分ぐらい悩んだが、無理をする必要はないと考えて亀鶴公園の大きな東屋の中にテントを張って寝ることにした。

 

 

11/7は、地元のおじさまが集まってラジオ体操をやっていたので、一緒にラジオ体操第一をやってから出発した。

まず目指すは「おへんろ交流サロン」だ。遍路大使任命書を申請し、1時間近く話をしたり見学をしてから、女体山ではなく国道を歩いて大窪寺に向かった。

とても不思議なのだが、東京から持って行った線香はもっとたくさんあったのだが、途中で10本以上折れてしまい、長尾寺での納経が終わった時点でピッタリ6本残っていた。もちろん偶然で、残りの6本を折らないよう丁寧に運んで大窪寺での納経を行って、結願になった。なんか良い事がありそうな気持良さだった。

 

大窪寺では、達成感というより虚しさや喪失感みたいなものを感じつつ、天ぷらうどんを食べて13時半のバスでJR志度駅に向かい、高松ではまず高速バスの乗り場を確かめてからカフェに行き銭湯をさがして風呂に入り、古代ローマにワープすることもなく東京に戻った。

この8日間にわたるパート9により、2年にわたる「四国歩き遍路区切り打ち」が終わった。

歩いた日数の合計は38日、民宿には一度も泊まらず、飛行機のツアーでのホテル泊が合計4泊、善根宿は「すだち館」「栄タクシー」「金平庵」「うたんぐら」の4泊、それと大龍寺ロープウェイ下の「そわか」に1泊した。あとは観自在寺と十夜ケ橋の通夜堂、浅海大師堂、出羽島と高知の知人宅に1泊ずつ泊めてもらい、残りはすべてテントで野宿だったので、宿泊費はほとんどかかっていない。

ただ、9回行ったので交通費は20万円ぐらいかかっていると思う。今は「毎日毎日何時間も歩くのはもういいや」と思っているが、少し経つとまた歩きたくなるのかも知れない。もし次に区切り打ちをやることがあれば、いくら何でも9回は多いので4回から5回ぐらいで行えればと思う。宿毛から東京に戻り、また東京から宿毛に行くのはロスが多いので、最も理想的な区切り打ちは「徳島-高知」「高知-松山」「松山-徳島」の3回に分けるのが良いと思う。仕事その他の都合がつけば、本当は通し打ちをやりたいと思う。基本野宿で、善根宿と通夜堂に泊まらせてもらえば、費用は四国までの旅費と食費しかかからないわけで、東京にいてもどこにいても食事はするので、通し打ちなら往復1回分の旅費と身体を休めるためと入浴のために時々泊まる宿泊費ぐらいで済むわけだから、野宿ができるのってすごいことだ。

 

いつか歩きで逆打ちもやってみたいけれど、とりあえず次はクルマや自転車で行くことになるかな。